誰も私のブログを見てくれないので仕方なく人気サッカー選手を紹介 Zlatan Ibrahimović ②
ズラタン・イブラヒモビッチ②
まずは動画のほうをご覧ください。
アヤックス
この活躍を見たアヤックス・アムステルダムやアーセナルなどのビッグクラブがイブラヒモ
ビッチ獲得に乗り出し、特にアーセナルはアーセン・ヴェンゲル監督が自ら背番号9番を保証
するなど懸命に獲得を試みたが、2001年7月1日に10代の選手としては破格の、そしてチー
ム史上最高額の780万ユーロ(約10億2200万円)の移籍金を提示したアヤックスに移籍し
た。そのアヤックスでかつてマルコ・ファン・バステンやパトリック・クライファート、ヌ
ワンコ・カヌなどが背負った背番号9を受け継いだ。2001-02シーズンのオランダカップ決
勝で決勝ゴールを決めるなど徐々にチームの主力となった。2002-03シーズンもUEFAチャン
ピオンズリーグで4得点、エールディビジで10得点を挙げ、レギュラーの座を不動のものと
した。翌シーズンは足の故障のため3ヵ月欠場するが、復帰後は16試合13得点を記録し、
エールディビジ優勝に貢献。
ユヴェントス~インテル
2004年7月1日、移籍金1900万ユーロ(約26億円)でユヴェ
ントスFCに移籍。当初は、アレッサンドロ・デル・ピエ
もあって、カペッロ監督の信頼を得始める。彼らの復帰後もユヴェントスフォワード陣の柱
となり、最終的に35試合16点の成績を挙げ、ACミランからのセリエA王座奪回(2006年のカ
ルチョ・スキャンダルにより、優勝は剥奪されている)に貢献した。2005-06シーズンも2
トップの一角として、ユヴェントスのセリエA首位独走に貢献した。2006-07シーズンから
は、ユヴェントスの審判操作疑惑によるチームのセリエB降格の影響により、ACミランへの
移籍も噂されたが、2006年8月10日に2480万ユーロ(約36億円)の移籍金でユヴェントス
最大のライバルであるインテルナツィオナーレ・ミラノへの移籍が発表された[2]。
2006-07シーズンはセリエA初年度の16ゴールには及ばなかったものの15ゴールを記録し、
インテルの15度目のスクデットに貢献した。しかし、セリエAにおける活躍に対してチャン
ピオンズリーグでは無得点で、ベスト16で敗退した。
2007-08シーズンは右膝の怪我に悩まされたものの、セリエAで17ゴールを記録しインテル
の16度目のスクデットに貢献した。特にセリエA最終節のパルマFC戦では後半途中から投入
されると2ゴールを奪い、この活躍でインテルは勝利。スクデット獲得を決めた。チャンピオ
ンズリーグのグループリーグでは5ゴールを記録するも決勝トーナメント1回戦のリヴァプー
ルFC戦では無得点に終わり、チームはまたしてもベスト16で敗退した。
2008-09シーズンはチャンピオンズリーグではわずか1ゴールに終わりチームも3度ベスト16
で敗退するも、セリエAでは得点を量産し、インテルのセリエA4連覇に貢献。25ゴールを記
録し、セリエA得点王に輝いた。
次回に持ち越しします。
今回はここまでになります。次回今後のイブラヒモヴィッチについて書いていきます。
よろしくお願いいたします。